林試の森公園の「利用自粛ください」は、園内の放送も横断幕や掲示もなくなった。やっと戻れた。中はいつもの年のように、飛ぶ綿毛が目立つ季節になっていた。ポプラなどの種子に着く綿毛は、中国古典の世界なら「柳絮」。いつもの年なら口に入るのがイヤで悩む綿毛も、今年は気にならない。マスクしているからね。 このひと月程の間、園外の道路を走ってきて思うのは、本当にもう...。最初の頃、マスクは息苦しいのでしていなかった。すれば心拍で言えばプラス10にはなる。自分が吐いた二酸化炭素のマスク内に残ったのをまた吸うのだから。ところがあるランナーが「(ランナーもマスクをしないとならないね。)でも自分はマスクは苦しいのでバフで替えている」と表明した頃からどうも風当たりが強くなってきた。走っていると、道路の反対側から「マスクしろーーー」などと怒鳴られることまであった。周りには人がいなかったから自分に言ったのだろう。でもお互い10メートルは離れていたのに。それに、あのランナーは、以前テレビの番組内でマスクが無用であることを「ウィルスは布の目を通り抜けますからね」とか「自分はまず(新型肺炎には)かからないと思う」などと意味不明で傲慢なことを言っているのを聞いたような気がする。「バフ」は私も自転車用で持っているけど、マスクの比ではなく、どれも薄くて一重、当然ウィルスも唾も通る。科学者でしかも研究者だと思ってきたが、まあ「政治的な立場」にある人は言うことも政治的なのだなあ、と自分の中ではその評価は大幅に下落した。とにかく感じが悪いので、マスクをして走るようになった。そのおかげで今年の柳絮は苦にもならない。 でも、走っている間、頭は暇。ぼんやり考え続けてもいる。そもそも人と人とが互いに充分離れていることができる状況では、マスクを使用するか否かは問題にはならないはずだ。あの道路の反対側から「(路上ではエチケットだろう。)マスクしろよ」と叫んだ人は、「皆がマスクをしているのだから、お前もマスクをすべきだぞーーー」という意味で叫んだのだろうか。そうなら、皆が揃わないと我慢ならない人、全員が一色にならない状況に我慢がならない人、つまり「アンドでありたい人」なのだろう。「Aが真でBが真で...Zが真なら、全体が真」。AからZまでを順に見て、途中で真でないものに出会ったら、即座にその後のものと無